○○であるべき、○○ねばならない、になっていませんか?
先日ある先生にお会いしてお話をしました。
その先生は、「医師としてこうありたい」という信念と、
「ご家族との時間を大切にしたい」という想いの間で苦しんでいるご様子でした。
「家族との時間を大切にしたい」と思ってしまうこと自体が、
医師としてどうなのだろうと後ろめたさを感じていらっしゃったのです。
先生の医師としての信念はとても素晴らしく感じました。
でも、それがゆえに「家族との時間を大切にしたい」というごく当たり前の想いに、
うしろめたさを感じてしまうなんて・・・・私も何とも言えない気持ちになりました。
また、この先生は、自分が診ることができる患者様は全て診てあげたい
と多くの救急患者を受け入れ、体力的にもつらくなっているご様子でした。
自分が置かれている現状がつらいものである時、
まわりを変えることで解決することもあれば、
自分の捉え方を変えることで解決する場合もあります。
これは「論理療法」に通じる考え方です。
論理療法では、
C という結果につながったのは、
A という出来事が原因だ
とするのではなく、
A という出来事があった時、
B という信念があるが為に、
C という結果につながる
と捉えます。
つまりCが悪いものになってしまっている時、原因はAではなくて、Bにあると考えます。
そのBという信念はイラショナルビリーフ(非合理的な信念)といわれ、
主に4つのパターンに分かれるのですが
そのうちの1つが【ねばならぬ信念】というものです。
この場合の対応方法を端的に説明すると
『~ねばならない(must)』を『~であるにこしたことはない(should)』
という表現に書き換えるのです。
この先生の場合は、素晴らしい信念をお持ちで、
決してイラショナルビリーフではありませんが、
素晴らしい先生であるからこそ、もう少しご自身が楽になれるような、
そんな捉え方・考え方をぜひ持っていただきたいと感じた出来事でした。
もし今何かに苦しんでいる方がいらっしゃいましたら、
「考え方、捉え方をちょっと変えてみる」ぜひ試してみてくださいね。